スポンサードリンク


女性・歌手

岩崎宏美

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090430-00000514-sanspo-ent

10歳年下のミュージカル俳優さんと結婚したという岩崎宏美 さんについて調べてみます。

岩崎宏美

基本情報
別名 ヒロリン
出生 1958年11月12日(50歳)
出身地 日本東京都江東区
活動期間 1975年 -
レーベル ビクター
インペリアルレコード
事務所 芸映プロダクション(1975年 - 1984年)
スリー・ジー(1984年 - )


久し振りに岩崎宏美 さんの名前を聞いた気がします。

全盛期はうちの女房の年代でしょう、もちろん私も知っていますが。


成城学園初等学校入学と同時に歌のレッスンを受け、同中学校進学の後、歌手を目指し松田トシ(のちに芸名を「松田敏江」に改名)に師事。また当時中学の同級生だった岡村清太郎(当時歌舞伎役者。現在は浄瑠璃清元の家元、七世清元延寿太夫)の縁で先代水谷八重子の部屋方となり、新橋演舞場に通う。中3年の時に『スター誕生!』に応募し、1974年2月20日(放映は3月3日)、関東大会で代表選出、同年7月17日(放映は8月11日)決戦大会に出場。小坂明子の「あなた」を歌い最優秀賞に輝く。8社からのプラカードがあがり、芸映、ビクターレコードと契約

この人も「スター誕生」の出身なんですね。

それにしても小学生で江東区から成城まで通っていたのですから実家はお金持ちだったんでしょう。

通学時間も1時間は掛かるのではないでしょうか。
小さいのに良く頑張りましたね。

1975年4月25日、「天まで響け岩崎宏美」のキャッチフレーズと共に「二重唱 (デュエット)」でデビューした。2枚目の「ロマンス」が90万枚近い大ヒットとなり、細川たかしと共にこの年の新人賞を総なめにする。また、この年、第26回NHK紅白歌合戦に初出場(歌唱曲は「ロマンス」)した。

この「ロマンス」は私でも知っていますから大ヒットです。

1976年3月、3枚目のシングル「センチメンタル」が春のセンバツ高校野球大会の入場行進曲に選ばれる。
1977年に堀越高等学校を卒業した。同期卒業生には森昌子、岡田奈々、池上季実子などがいる。同年秋、初のバラード「思秋期」が大ヒット、第19回日本レコード大賞歌唱賞を受賞し、実力派の評価を不動のものにする。


この頃はそれこそ飛ぶ鳥を落す勢いでした。

出す曲みんなヒットして絶頂期でした。


1982年、前年9月より放送が開始された日本テレビ系の2時間ドラマ『火曜サスペンス劇場』の主題歌「聖母たちのララバイ」に問い合わせが殺到し、当初シングル発売の予定は無かったが、200名の主題歌カセットプレゼントに28万通もの応募があったことから同年5月21日に発売する。発売後2週目でオリコンチャート週間売上1位を獲得し80万枚の大ヒットとなり、同年11月、日本歌謡大賞を受賞する。

こうしてみると、この人の歌は今でも歌われている曲が多いですね、それだけ名曲揃いということでしょう。音痴の私が知っているのですから。

そして、この曲も選抜の行進曲に選ばれたと言う事はすごい快挙です。


1984年、芸能活動の方針を巡る相違から芸映を退社し、個人事務所スリー・ジーを設立する。

これは、良く聞くパターンですね。

でも、これ以降は歌だけでなくドラマや舞台にも出るようになったのですから本当に活動方針の違いだったのでしょう。
「夜のヒットスタジオ」に出られない時期もあったそうです。

1988年、商社マンの男性と結婚し、芸名も益田宏美に変更する。その後2児を出産し、主婦業と育児に専念する。その間、夫の仕事の関係でドイツに住む時期があったが、その頃には既に夫婦仲が悪かったと後の雑誌のインタビューで答えていた。


芸能界で人気が有って華やかな舞台に立っていた人は主婦業に専念するのは無理でしょう。

その点で行けば山口百恵さんはすごいですね。
例え芸能一家といえども表舞台には出て来ませんから。


芸能界一の辛口で知られた淡谷のり子は、当時のルックスに歌唱力が伴わない流行歌手たちを「歌手ではなくカス」とこき下ろしていた中、岩崎だけは「まあ、彼女は歌が上手かったけどね」とその歌唱力を認めていた。


確かに私のように曲を覚えられない人間が彼女の歌のメロディーを思い出すのですから良い曲なんですよ。グッド(上向き矢印)

50歳にして10歳下の俳優さんと7年の交際を経て結婚されたと言う事はまだまだ気力も充実これからも良い歌を聞かせてくれることでしょう。

益々のご活躍をお祈りします。



タグ:岩崎宏美

女性・俳優

大山のぶ代

ドラえもんといえば大山のぶ代さんですがその大山さんが昨年4月に脳梗塞(こうそく)で入院していたと言うニュースが有りました。

30日放送のテレビ朝日系「徹子の部屋」で約1年ぶりに芸能活動を再開したという事です。

その大山さんについて調べてみます。

おおやま のぶよ
大山 のぶ代
プロフィール
本名 山下 羨代
やました のぶよ
配偶者 砂川啓介
出生地 日本・東京府東京市渋谷区
(現:東京都渋谷区)
血液型 O型
生年月日 1936年10月16日
現年齢 72歳
東京都立三田高等学校卒業。
所属 アクターズ・セブン



お若く見えましたが72歳になられるのですね。
芸能界の人は本当に若く見えます。


1956年、NHKドラマ『この鐘』でデビュー。冨士眞奈美も大山と俳優座養成所の同期で同ドラマでデビューしている。声優としての印象が強いが、本業は女優である。

確かにドラえもんの大山のぶ代というイメージが定着してしまっていますから声優だと思う人が多いでしょう。

テレビアニメ『ドラえもん』のドラえもん役は1979年4月から2004年一杯まで26年間演じた。キャストの高齢化に伴う番組リニューアルにより、2005年3月18日放送分の『ドラえもん!オールキャラクター夢の大集合スペシャル!!』をもって降板となった。

26年間演じ続けたんですか

すごいですね、それこそ親子二代大山さんのドラえもんを見て育ったという家族もいらっしゃるのではないでしょうか。

2007年4月からは東京都港区西新橋(御成門)にある音響芸術専門学校の校長として勤務を始めた。現在、同校において昼間部・夜間部の両方で毎週授業を担当し、直接学生の指導に当たっている。

料理研究家としても活動し、著書に『大山のぶ代のおもしろ酒肴』(主婦の友社、1981年)、『おかずのアイディア180』(小学館、1995年)、『大山のぶ代の毎日のおかず』(グラフ社、2000年)などがある。中でも『大山のぶ代のおもしろ酒肴』は136万部のミリオンセラーを記録した

料理研究家としても有名ですね

テレビでも放送されているのを良く見かけました。
庶民的で気取らず誰からも好かれる人柄とお見受けしています。


2008年4月24日に、心筋梗塞と脳梗塞を併発して緊急入院したが、投薬治療を行い、同年8月17日に退院。自宅療養とリハビリにより、一部後遺症はあるものの、日常生活の不安はないまでに回復し、活動を再開している

心筋梗塞と脳梗塞を併発していたんですね。
片方だけでも重病なのに併発していてよく回復されました。
これも医学の進歩のお陰です


夫の砂川啓介とは1963(昭和38)年8月に舞台『孫悟空』での共演で知り合い、翌1964(昭和39)年に結婚した

砂川啓介さんは体操のお兄さんですね。
失礼ですが砂川啓介さんより大山のぶ代さんのほうが売れっ子ですね。
最近は砂川啓介のお顔を余り見ないような気がします。


優れた味覚・嗅覚を持っており、水を一口飲めばそれがどこの水かを言い当てることが出来るという。そのため、水の研究家としても名の通った存在であり、旧厚生省「おいしい水研究会」、旧国土庁「水を語る女性の会」の委員も務めている


水を一口飲んでどこの水かを当てるなんてすごい味覚の持ち主です。
やはり、ただ者ではないです。


ワイドショーや料理番組では物腰のやわらかい喋りだが、演技に対する姿勢は非常に厳しく、大山のダメ出しの罵倒を食らい泣かされた新人声優は数多いという。

プロ意識の強い方なのでしょう。

こうして大山のぶ代さんを見てくると一本芯が通っていて曲がったことが嫌いなチャキチャキの江戸っ子のイメージが強いですね


『ウィキペディア(Wikipedia)』参照
タグ:ドラえもん

男性・タレント

つるの剛士

今回は以前調べた上地雄輔さんと同じ羞恥心のメンバーつるの剛士さんについて調べてみます。

以前、何かの番組でこのつるのさんが「せみ」の話をしていたのを見たことがありましたが、非常に「蝉」について詳しくその時はこの人のどこが「おばかキャラ」なのか解りませんでした。

本名  野 剛士
生年月日 1975年5月26日(33歳)
出生地 日本
福岡県北九州市門司区
ジャンル ドラマ・映画・バラエティ


本名のツルという字は旧文字を使うのですね。
こんな字見たことありませんでした。


福岡県北九州市門司区生まれ。父親の転勤で5歳まで広島県広島市で育ち、6歳から12歳の途中まで大阪府高槻市で育つ。6歳の時にキリスト教系の幼稚園に入園し、卒園。7歳から12歳の途中まで高槻市立高槻小学校に通学する。その後東京都練馬区に引っ越し、練馬区立豊玉第二小学校に転校し、卒業。1988年4月から練馬区立豊玉第二中学校に通学し、1991年3月に卒業。1991年4月から都立大泉北高等学校(現大泉桜高等学校)に通学し、1994年3月に卒業。

お父さんが転勤族だったんですね。

中学、高校は東京のようですが小学校までは転勤が続いて友達も少なかったのではないでしょうか。

1997年、オーディションに合格し、『ウルトラマンダイナ』の主役、アスカ・シン役に選ばれる

約12年前のデビューなんですね。この頃は子供達もこの手の番組を卒業していましたから見る機会がなかったわけです。

2007年からは『クイズ!ヘキサゴンII』にレギュラー解答者として出演するようになり、おバカタレントとして大ブレイク。後に同じおバカタレントのレギュラー上地雄輔、野久保直樹と共に羞恥心という音楽ユニットを結成した。

前回の上地さんのところでも書きましたがこの『クイズ!ヘキサゴンII』という番組も見たことがなかったので本当に羞恥心というグループを知ったのが半年くらい前の事です。

これでは本当に女房との会話が成り立ちませんふらふら

音楽活動にも取り組んでおり、バンド『太陽の衝動』、チップチューンユニット『8○boyzz』も活動中。ギター、ベースギター、ドラム、トランペット、ピアノ、ウクレレと色々な楽器を演奏する。2009年4月22日にカバーアルバム『つるのうた』をリリースする事が発表された。音楽以外にも絵画、将棋、釣り(国際フィッシングショー クールアングラーズアワード2009を受賞)、セミ収集、バイク、最近は料理を楽しむなど、とにかく多趣味、器用。

冒頭にも書きましたが蝉の話も詳しかったですが、この多趣味でどうして「おばかキャラ」なのでしょうか。

私の推測で言えば、小さい頃転勤が多く学校になじまなかったのではないかと思います。

だから、学校で教わる国語や算数などの情報には疎く一人で出来る趣味系が得意になったのではないでしょうか、そんな気がします。


将棋はアマチュア2段の腕前を持つ。スカイパーフェクTV!の囲碁・将棋チャンネルでもレギュラーを数本持っている。将棋を題材にしたドラマ「ハチワンダイバー」にもプロ棋士の役でゲスト出演し、スピード対局(1分将棋)のノーカット撮影という難度の高い役をこなしている。

将棋の出来る人は頭の回転が早い人ですから、元来はやはり頭の切れる人なのだと解りますね。

上記の趣味の多さなどから考えれば芸術家肌なのでしょう。


中学の卒業式の時、制服のボタンのみならず上下全てを女子達に持って行かれてしまい、仕方なくジャージ姿で帰宅したらそのジャージを引き取りに来た女子が家で待ち構えていた、と言う。この話は今でも彼の卒業した中学の伝説として語り継がれているそうだ

すごいエピソードですね、制服まで女子生徒に持って行かれ、さらにジャージまでですか。
モテモテの中学生だったんですね、恐れ入ります。

つるのと同じく番組内で珍解答が目立つ野久保直樹、上地雄輔とつるのの3人セットで「イケメンバカ3人衆」「ヘキサゴン三銃士」と呼ばれてきた。2007年8月1日に放送分の「アナウンスクイズ」で上地が「羞恥心」を「さじしん」と読んだ上に「しゅうちしん」と答えを教えられても意味が理解できていなかったことから、つるの、野久保、上地の3人はその回から「羞恥心」というユニット名でも呼ばれることになった


羞恥心というグループ名はここから来たんですか。
今やっと解りました。

私は

クイズに上手く答えられないから恥ずかしい3人

こんな意味だと思っていました。

どちらにしても、上地さん同様人の良い好青年ですね。
奥さんとはまだ式を挙げていないようですが3人のお子さんにも恵まれ幸せなご家庭を築いている様子。

多種多芸な得意分野をもたれているようですから益々成功されるのではないでしょうか、ご活躍をお祈りいたします

男性・タレント

草g 剛

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090424-00000583-san-soci

草g 剛 さんが釈放されたニュースにありました。

昨日からニュース番組でも多くの時間を割いて報道していました。

芸能界音痴のおじさんは名前と顔はわかっていてもこれほどの大きなニュースになっていることにそんなに大物なのかと思い知らされていますもうやだ〜(悲しい顔)

そこで草g 剛 さんについて調べてみたいと思います

くさなぎ つよし
草g 剛
別名 つよし、つよしくん、つよぽん、つよちゃん。
生年月日 1974年7月9日(34歳)
出生地 , 愛媛県西予市[要出典]
血液型 A型
ジャンル 男性アイドル 俳優
活動期間 1987年(昭和62年)- (ジャニーズ入所)
活動内容 歌手、俳優


34歳、まだ独身なんですかね。
そろそろ結婚の話が出てきていたのでしょうか、知らなくてごめんなさい。


愛媛県西予市[要出典]生まれ、2歳頃より埼玉県川口市で育つ。小学生のときは器械体操部に所属し部長を歴任。国体→オリンピック出場を目標にしていた。
現・SMAPの一員、木村拓哉と共に茶々隊のオーディションに合格。萩本欽一の下でレッスンを受けた後、最年少メンバーとして『欽きらリン530!!』の放送開始当初に少しだけ出演する。「彼ら2人に笑いの才能を感じながらも、リハーサルの合間にいつも踊っている2人の姿を見てこの子たちはこのまま笑いの世界に引き込んではいけないんじゃないかと思って結果的に解雇し、ジャニーズ事務所社長に預けた。」(萩本欽一談)


2歳の頃から川口で育ったと言う事は埼玉県人みたいなものです。

私も埼玉県人ですから親しみを覚えます。

この欽ちゃんの談話も面白いですね、自分で発掘をしていながらかれらの将来の為の道を切り開いてあげる。

だから欽ちゃんも「大将」と呼ばれてみんなから慕われるんでしょう。

1988年(昭和63年)4月、13歳の頃スケートボーイズの中からSMAPのメンバーに選ばれる。当初草gはSMAPのメンバーの中でも控えめな立ち位置にいたが、1997年(平成9年)にドラマ『いいひと。』で一躍知名度を上げた。その後2003年の長者番付ではジャニーズ部門で首位になった。

SMAPってもう21年も結成してから経つんですね。

SMAPといえば木村拓哉さんのお名前が浮かびますが、草g 剛 さんも長者番付けで首位になったこともあるんですね。

大体、こうして調べてみて、SMAPのメンバーが中居正広、木村拓哉、稲垣吾郎、草g剛、香取慎吾の5人だとわかりました。

あの「光をさす」コマーシャルの人たちですね。

日曜日の7時から日テレで放送している城島さんたちとごちゃごちゃになっていました。

堀越高等学校を埼玉の実家から3年間無遅刻無欠席の皆勤賞で卒業。そのときに、全コースから学業優秀、品行方正だった卒業生1人に贈呈される「堀越賞」を受賞した。なお、卒業後に活躍した有名人も数多い堀越高芸能コース卒業生であるが、芸能コースの生徒で受賞したのは草gが初という快挙であり、その後も声優・歌手の水樹奈々しか例が無い。

真面目そうな好青年という印象がありましたが、この堀越高校の「堀越賞」の事だけとってもすごいことですね。

忙しいスケジュールの合間を縫って3年間無遅刻無欠席の皆勤賞はすばらしい事です。

一般の高校生でも皆勤賞を取る生徒は少ないと思います。

それだけ真面目に仕事を持ちながら高校に通っていたという事は並外れた気力の持ち主なのだと思います。

その彼が例えお酒が入っていたといっても今回のような騒ぎを起すと言う事は余程何か思い余る事があったのでしょう。

彼の、この真面目な性格を知るとなお更何かショックの大きい思い余ることがあったのだと推察できます。

起こしたことは反省して、でも、これだけの人柄の持ち主なのですから周りの人もきっと応援してくれるのではないでしょうか。

失ったものは大きいかもしれませんがこの真面目な好青年はきっと再起してくると思います。

この事件で、私など初めて彼のことを調べてみて、逆に応援したい気持ちが起こりました。

やけにならず頑張ってほしいものです。


『ウィキペディア(Wikipedia)』参照

女性・タレント

清水由貴子

今日は自殺された清水由貴子さんについて調べてみたいと思います。

私たちの年代には懐かしい顔です。

欽ちゃんの週刊欽曜日(1982年10月8日1985年9月27日に、TBSテレビ系で毎週金曜日21:0021:54(JST)に放送)に出演されていたのを思い出します。

いつもニコニコと笑い愛想笑いでなく心のそこからの笑顔が綺麗でした。

生年月日 1959年9月7日
没年月日 2009年4月20日(満49歳没)
出生地 東京都
死没地 静岡県駿東郡小山町
民族 日本人
職業 女優、歌手、タレント


亡くなった富士霊園はサーキットで有名な富士スピードウェイの直ぐ近くにあるんですよね。

以前通りかかりに見て広大で綺麗に整備された霊園だと驚いたことがありました。

CMではヤクルトのコマーシャルでお母さん役を演じてたのが印象に残っています。

1976年2月18日(放映は同年3月14日)、NTV『スター誕生!』第16回決戦大会最優秀賞(ピンク・レディーが同じ大会で合格。獲得の意思を示したプロダクション、レコード会社の数はピンク・レディーをはるかに上回っていた)。1977年3月1日、『お元気ですか』でCBSソニーから歌手デビュー。

第3回日本テレビ音楽祭新人賞、第4回横浜音楽祭新人賞、第6回東京音楽祭国内大会優秀新人賞、第10回新宿音楽祭銅賞、第4回FNS歌謡祭優秀新人賞、第8回日本歌謡大賞新人賞等を受賞。同期の高田みづえ、榊原郁恵と「フレッシュ三人娘」と呼ばれる。


ピンク・レディーを上回る評価を貰っていたんですね。


最近は老人介護の問題が多くの人を苦しめているようです。

清水さんも、介護疲れによる自殺ではないかと報道されています。

責任感の強い母親思いの女性だったのでしょう。

介護は毎日の事で手を抜けませんから思いつめてしまったのでしょう。

ヘルパーさんにお願いするとかしていたんでしょうか?
その辺の報道はまだなかったように思います。

今回の彼女の自殺が今後の老人介護の問題の警笛になれば彼女の死も少しは報われるかもしれません。


どうぞ安らかにお休み下さい。

女性・俳優

綾瀬はるか

今回は私がテレビで見て美人さんだと思った人「綾瀬はるか」さんについて調べてみます。

この方の顔は私好みですわーい(嬉しい顔)

以前女房が「世界の中心で、愛をさけぶ 」を見ていましたが、その時はまだ少女といった感じでした。

その当時も一目見て彼女は他の女優さんと区別が出来ました。

その私好みの綾瀬はるかさんとはどんな人なのでしょう。


本名 非公開
生年月日 1985年3月24日(24歳)
出生地 広島県広島市安佐南区
血液型 B型
職業 女優、歌手
ジャンル テレビドラマ、映画、CM


広島の出身なんですね、1985年生まれと言う事は今年24歳でしょうか、うちの次男と同い年なのですね。


広島県立祇園北高等学校から堀越高等学校に転校。帝京大学短期大学中退。
2000年、第25回ホリプロタレントスカウトキャラバンで審査員特別賞を受賞し、芸能界デビュー。
2001年、日本テレビ系ドラマ『金田一少年の事件簿』で女優デビュー。
2003年、フジテレビ系ドラマ『僕の生きる道』で初の連続ドラマレギュラー出演。
2004年、TBS系ドラマ『世界の中心で、愛をさけぶ』にてオーディションで723人の中からヒロインに選ばれる。


2000年のデビューだったのですね、私は『世界の中心で、愛をさけぶ』がデビュー作だと思っていました。

でも、723人の中から選ばれるということはやはり光るものがあったからこそ審査員の人の目に留まったのでしょう。

私などはいつも思うのですが最近の若手タレントさんは皆同じ顔に見えて仕方有りません。

化粧の仕方や髪型、髪の色みんな似通っている感じです。

ですから、いつもこの人は誰?と女房に聞いてしまいます。

その点この人は最初に見たときから顔を覚えられました。

目に特徴があって透明感のようなものを感じました。

もしかしたら若い男性よりおじさん層に受ける顔ではないでしょうか
そんな気がします。

バラエティ番組などに出演する際、共演者からは天然ボケと評されることがあり、『ホタルノヒカリ』で共演した藤木直人は、彼女のことを「マイペースで天然。よくつまづいて転んでいたから」と評している。『島田検定』に出演した際は珍回答を連発して司会の島田紳助から「君、本当にアホやろ!」と言われたり

この辺のエピソードも面白いですね。

一度ファンになってしまうと「あばたもエクボ」で皆可愛い人柄に映ってしまいますハートたち(複数ハート)

最近は「おっぱいバレー」という映画のプロモーションでテレビによく顔を出していますが、世界の中心で、愛をさけぶ時代の少女から大人の女性になりかかっているというか。

正にさなぎから成虫に脱皮している過程に映ります。

今持っているガラスのような透明感を崩さずに大きく羽ばたいていただきたいですね。



久々に出会った私好みの女優さん、注目して行きたい人です。


ウィキペディア(Wikipedia)』参照

男性・タレント

上地雄輔

今回は羞恥心の上地雄輔さんについて調べてみます。

私はつい最近まで、つるの剛士(羞)野久保直樹(恥)上地雄輔(心)の3人特に上地雄輔さんとつるの剛士の区別が付きませんでした。

テレビの「クイズ!ヘキサゴンII」という番組も見たことがなかったので『おバカキャラ』で売っている事さえ知りませんでした。

区別が付くようになったのはWBCが話題になってレッドソックスの松坂投手の1年先輩だという事でよく顔を見るようになったからだと思います。

本名 上地 雄輔
生年月日 1979年4月18日(30歳)
出生地 神奈川県横須賀市
職業 俳優、タレント 、歌手


横浜高校野球部と聞くと野球留学かなと思いますが地元の出身という事ですね。

中学三年生時には、所属チーム横須賀スターズは全国大会出場、関東大会優勝を果たしたというのですからたいしたものです。

高校2年の夏の甲子園予選の試合中に右肘の神経を断裂したため生保主の座を後輩に譲り、複数の大学から推薦入学の誘いを受けていたにも限らず芸能界への道に進んだという事です。

確かに顔はハンサム、さわやかな感じですから役者の道へ進んだと言う事は間違いではないですよね。

1999年にTBS系の連続ドラマ『L×I×V×E』でデビュー。2005年には、ドラマ『アストロ球団』に出演。その後も端役ながら数々のドラマや映画に出演し、活躍する。

ということは、もう芸能界の10年選手という事なんですね。

2007年6月、『クイズ!ヘキサゴンII』にスリルな夜 子育ての天才(2007年)で、ゲスト出演した結果、ゲストとして初の最下位で、珍解答を連発。その後レギュラー解答者となり、『おバカキャラ』として一躍ブレイク。また、2007年8月には、同時期に出演していたつるの・野久保とともに『羞恥心 』というユニットを結成し、2008年4月には歌手デビューも果たした

でも、世間に認められたのは2年前ということなんですね。

石の上にも3年といいますが8年目に開花したのですから良く頑張った甲斐があったというものです。

2008年6月4日には自身のオフィシャルブログ『神児遊助』が「世界で最も1日の閲覧ユニークユーザー(重複しない人)数が多いブログ」(1日23万人観覧)としてギネスブックに認定された

すごいですね、私も先程探してこのブログを見つけました。

http://ameblo.jp/kamijiyusuke/

アメバーブログです、1日23万人という数は信じがたい数字です。
私のこのサイトにも少し分けて欲しいくらいですバッド(下向き矢印)

2009年には、大河ドラマ『天地人』に小早川秀秋役で出演、2009年2月に『チョコをあげたい男性』に1位に選ばれた。

このチョコをあげたい男性の1位というのは彼の人柄なのでしょう、
顔を見てもやさしそうな顔をしていますから。


上地が小学生の頃父親に言われた「これからは良い事をされたら100倍にして返せ! その代わり嫌な事をされたら100分の1にして返せ。」という言葉は、長い月日が経ってもブログ等に登場しており、上地の心の内に強く残っている。

これは、横須賀市議会議員お父さんの言葉だそうですが、すばらしい教えですね。

この教えを守っているから上記のチョコレートにつながるのでしょう。

30歳といえば男の魅力がそろそろ出てくる頃です。
性格的にもとても良いものをもたれているようなので、周りの人にもきっと愛され続けていく事でしょう。

上地雄輔さんの今後に大いに期待しましょう。

『ウィキペディア(Wikipedia)』の記事を参考にさせて頂きました。




男性アナウンサー

安住紳一郎

感じの良い好青年といったイメージが強い安住紳一郎さんについて調べてみます。

私が安住紳一郎さんを感じがよいなと思ったのは「ぴったんこカン・カン」という番組を見たときです。

アクの無いさわやかさがとても良いイメージを植えつけました。

恐らく皆さんはそれ以前から彼をご存じだったと思いますが、どんな人なのか調べてみたいと思います。


プロフィール
出身地 日本 北海道帯広市
生年月日 1973年8月3日(35歳)
血液型 AB型
最終学歴 明治大学文学部日本文学科
勤務局 TBS


帯広出身の道産子なのですね。

明治大学文学部出身というのもこの業界では珍しいのではないでしょうか(良くは知りませんが)


現在 『ぴったんこカン・カン』
『中居正広の金曜日のスマたちへ』
『情報7days ニュースキャスター』
『安住紳一郎の日曜天国』など


『情報7days ニュースキャスター』もたまに見ていますが、ビートたけしが的を外したコメントをした時など上手くフォローして、久米宏を思い出しました。

1997年、TBSに入社でTBSでの初出演番組は、はなまるエプロン隊をしていた『はなまるマーケット』。

はなまるマーケットという番組は見たことありませんが彼の雰囲気から朝の番組なので主婦層には受けたんではないでしょうか。


本人は報道番組を持つことを強く希望しているが、バラエティ番組を中心に起用されている。その結果、2005年の衆議院解散総選挙の際には、アナウンス室で役員待遇のアナウンサー以外では唯一選挙特番に起用されず、『さんまのSUPERからくりTV』のロケにまわされた。

ここが面白いですね、本人が報道を希望しているのにバラエティ番組にまわされるというのは顔なんでしょうか。

今流のイケメンといった感じではなく何となく憎めない愛嬌を感じるのは私だけでしょうか。

ぴったんこカン・カンでは先日萩本欽一さんと欽ちゃんの生まれ故郷浅草近辺を回るシーンがありましたが、なかなかほんわかとした欽ちゃんの人柄を上手く引き出したインタビューをしていました。

そんな本人の希望がかなえられ、10月からは報道番組の『情報7days ニュースキャスター』の司会を務める為、『ドリーム・プレス社』を降板していよいよ報道の世界に足を踏み入れました。

過去に出演していた番組の中で一番思いいれのある番組は『ジャスト』。同番組の打ち切りが決定した時は大ショックだったという。最終回では感極まって号泣。司会パートナーの三雲孝江以外の共演者ももらい泣きしていた。

これだけ報道番組に思い入れがあったということなんでしょう。

明治大学文学部日本文学科に補欠入学。大学在学中はサークル活動などに一切参加せず、ファミリーレストランでのアルバイトに明け暮れる日々で卒業も危うく、追試で卒業できたとのこと

国語教師を志望し、教育実習も済ませ、就職する高校も決まっていた。しかし、結局テレビマンユニオンに就職するもたまたま見かけたアナウンサー募集のポスターがきっかけで、また教師とアナウンサーには「一対多数のコミュニケーション」という共通項があり、教師になるための勉強につながると考え、アナウンサー試験を受けることにした。記念受験のつもりで、TBS、日本テレビ、フジテレビ、テレビ朝日のアナウンサー試験を受けたが、日本テレビは書類選考で不採用。テレビ朝日は最終選考前に不採用。TBSとフジテレビは第一次を通過したが、フジテレビは諸事情で連絡が取れずに不採用となった[3]。TBSの最終選考で見事に合格を果たし、アナウンサーとしてTBSに入社することが出来た(2006年5月10日放送『ドリーム・プレス社』、小学館刊『局アナ安住紳一郎』より)。

この辺の話も面白いですね。
局との相性とか方向性もあるんでしょう。

国語の教師になっていても情熱を持った良い先生になっていたと思います。

今後の安住アナウンサーに大いに期待したいですね。

『ウィキペディア(Wikipedia)』を参照

女性・タレント

藤原紀香

生田神社での派手な結婚式を挙げて2年、そして旦那さんの地元での入籍などで話題になった藤原紀香さんと陣内智則さんが離婚しましたね。

ホテルオークラ神戸での披露宴は6億円の費用が掛かったとか新聞でみた事があります。

その藤原紀香さんについて今日は調べてみます。

K-1などの番組に良く出られていますね。

息子が格闘技が好きなのでよく顔を見ていました。

何か体育会系のイメージがありますがどうなのでしょう。


藤原 紀香(ふじわら のりか、1971年6月28日 - )は、日本の女優、女性タレント。本名、陣内 紀香(じんない のりか、旧姓:藤原)。

兵庫県西宮市出身。所属事務所はサムデイ。公称身長171cm、B 88p、W60p、H89p、血液型A型。神戸親和女子大学文学部英文科卒。ミス日本グランプリ受賞者。資格は、英語検定2級、着物着付け3級など。 趣味は、女磨き、写真、釣り、加圧トレーニング、映画鑑賞、タンゴ、スポーツ全般、アロママッサージ。



この経歴を見ると、ミス日本なんですね。

それに、英文科卒というのもビックリです。

趣味は加圧トレーニング、スポーツ全般というのもうなずけます


1993年、東レ水着キャンペーンガール
1994年、アサヒビールイメージガールとして活躍。
1995年、阪神・淡路大震災で被災し、「人生、いつ終わるかわからないから」と達観して上京。


この、「人生、いつ終わるかわからないから」と達観して上京というところに男らしさを感じてしまいますふらふら



CMにも数多く出演し、過去「CMの女王」と言われたこともある(CM総合研究所のCMタレント年度別好感度ランキングで1999年と2000年に一位を記録)。特に、J-PHONE(現ソフトバンクモバイル)のCMは衝撃的で、世間の話題を呼んだ。J-PHONEは藤原紀香のCMの効果で、急激にシェアを伸ばした。東京デジタルフォンから始まり今日のソフトバンクモバイル迄において1番の功労者彼女と言っても過言ではない。



確かにCMは沢山出ていたのを覚えています。

最近良く見るのはレオパレス21でしょうか。



中学時代はバスケットボール部に所属し、高校時代は落語研究会に所属していた。芸名は「親和亭かつお」だった。



バスケットボール部というのは解りますが落語研究会というのは

想像を超えますねたらーっ(汗)



意外なことにピアスを全くしていない。また仕事で髪を染めることがあってもすぐに黒髪に戻すなど、意外と古風な一面がある。


そうかもしれませんし、自分の容姿に自信があるのかもしれませんね。

昔から、きれいな人ほど化粧やアクセサリーをみにつけませんからね。



両親が和歌山県出身であり、よく紀ノ川周辺でデートしていたという。紀ノ川の香りが印象に残ったらしく、「紀ノ川」の「香り」からちなんで紀香と命名された。


この辺の感性いいですね。

この人の一見派手そうに見える見た目からは解らない部分なのでしょうね。




持ち前の正義感から、国内外を問わず、恵まれない生活環境に甘んじる人々を救済しようという人道的支援や、平和を維持したいとする意欲が極めて高く、これに貢献すべく様々な活動を行っている。



こういう人だったんですね。

好きになりそうですわーい(嬉しい顔)


2006年には、国連スタッフと共に独立運動の混乱の最中であった東ティモールへ向かって写真取材を敢行し、後にニューヨーク市内で国家支援を訴える写真展を開催し、その開会式においてスピーチを行った。



一時テレビに出ない時期があったように思いますがこのような活動をしていたんですね。



才色兼備の女性がオタク青年と出会い最初は嫌悪感を示していたものの、その真摯な求愛姿勢に徐々に心を動かされてついには結ばれるという、ドラマ『59番目のプロポーズ』でお笑いタレント陣内智則とともに主役を演じた際、陣内と息のあったコミカルタッチな演技も披露して、このドラマのハッピーエンド同様に交際を始め結婚するに至った。


これが旦那さんとの出会いだったんですか、ドラマの通りになったというわけですね。



自身が「雨女」であると公言している。

内戦後のアフガニスタンに赴いて取材訪問を行った際には、その従前3年間にわたって降雨のなかった彼の地に、恵みの大雨をもたらした。
乾期のケニアに訪問した際には、例年の通り乾期中の飲料水確保に苦労していた現地の伝統民族マサイ族が大喜びするほどの降雨をもたらした。
FIFAワールドカップ2002における日韓親善大使を務めた際には、職制上10回以上訪韓したが、晴れる日は皆無で、おしなべて降雨か降水確率の高い曇天であった。
生田神社で挙式した際、当初の本人の予想通り雨天となった上、挙式後の記者会見が終わった瞬間に雨が降り止んだ。



ホー、これは本当にすごい雨女ですね。

でも、マサイ族に喜ばれたのなら本望でしょうね。



このように見てみると藤原紀香さんという人は見た目の感じだと
チョットきつそうな所を感じていたのですが、大分持っていたイメージが違っていたようですね。

考え違いをしていたようです

『ウィキペディア(Wikipedia)』を参照
タグ:藤原紀香

男性・俳優

岡田准一

先日、格闘技の番組を見終わってボーっとしていたらなにやらドラマが始まりました。

導入部分が巧みに出来ていたのでしばらく見ていると面白いではないですか。

そのまま最後まで見入ってしまいました。

番組を見終わって新聞のラテ欄を見てはじめてその番組が『SP 警視庁警備部警護課第四係』 という番組で出演者が岡田准一、堤真一、真木よう子という事を知りました。

若い頃は映画好きで年間100本以上見ていた経験がありますが、仕事についてからだんだん縁遠くなり、今では芸能界の事はまるで解りません。

ですからテレビドラマというものも最近は全く見ていませんしある面バカにしていた所がありました。

ところが、たまたま見たこの「SP」という番組の面白さに久し振りにワクワクしてみてしまいました。

格闘シーンも動きがよく、岡田准一さんという役者さんに興味が出ましたので調べてみます。 


岡田 准一(おかだ じゅんいち、1980年11月18日 -)は、日本の俳優、声優、タレントであり、ジャニーズ事務所所属の男性アイドルグループV6のメンバー。フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より




役者さんだと思っていましたがジャニーズのV6のメンバーだったんですね。

V6のメンバーっておじさんぽい人が多いと思っていましたがこの岡田君のように若々しい人もいたんですね。




日本 大阪府枚方市 血液型 B型

大阪出身のB型ですか、血液型は私と一緒です(笑)





1995年 
日本テレビ系で当時、放送されていた『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』内のコーナー『ジャニーズ予備校』に応募し、合格する。
中学2年生の3学期に、ジャニーズ事務所に入所し、単身上京する。
11月1日、V6の一員として『MUSIC FOR THE PEOPLE』でデビューを果たす。(当時14歳・中学3年生)




中学3年で単身上京するとは、ご両親も心配でしたでしょうね。しっかり者なんでしょう。


1999年 
3月、堀越高等学校を卒業する。(同級生に野波麻帆、新山千春など)
2002年
ドラマ『木更津キャッツアイ』で主演を務める。その後木更津キャッツアイは『木更津キャッツアイ 日本シリーズ』、『木更津キャッツアイ ワールドシリーズ』と2度映画化され、岡田の代表作となった。 <





この『木更津キャッツアイ』というのも全く知りませんが結構人気番組だったようですね。




2006年
12月、主演映画『花よりもなほ』(時代劇)での、岡田の演技が高く評価され『石原裕次郎新人賞』を受賞した。この賞は過去にオダギリジョーや、木村拓哉、長瀬智也らが受賞している。
岡田は、下積み時代が長かったV6のリーダーである坂本昌行とは対照的に下積み時代が短く、入所後、約半年でV6のメンバーに抜擢される。そのため岡田がジャニーズJr.で活動していた事はあまり知られていない。




下積み時代が無くデビューできたという事はやはりそれなりに光るものが当時から有ったんでしょうね。




両親は岡田が小学2年の時に離婚し、それ以来、祖母、母、姉と暮らしていた。
母は実家でピアノ教室の指導者をしている。また、ママさんコーラスの指導者でもある。
母と二歳年上でピアニストの姉は、絶対音感の持ち主だが、家族で岡田だけが絶対音感を持っていない。(本人曰く「あやふや絶対音感」ならある。)




ご両親は離婚されていたんですね。

お母さんも立派な人ですね、よく単身上京を許されたと思います。
お母さんはピアノの先生をしているんですか、私は音痴で楽器は何も出来ないし、歌を歌えばメロディに乗れないはといった程度ですから音楽の出来る人は尊敬してしまいます。




2002年に宮藤官九郎脚本のコメディードラマ『木更津キャッツアイ』で主演を務め、この作品の中で岡田はそれまでのアイドルとしてのイメージをブチ壊す、いわばヨゴレ役とも言える演技を披露し、従来のファンを驚かせた。また、この作品で見せた、タバコやビールをこよなく愛し、おまけにスケベという等身大の若者像は、女性ファンだけでなく同年代の男性の支持をも得る事になり、岡田自身の俳優としてのステータスを確立する事となった。また木更津キャッツアイは2度映画化され、岡田の代表作となった。




随分とデビューから恵まれた道を歩んできているんですね。

人から好かれるような何かを持っているんでしょう、そして努力家なんだと思います。




趣味は、乗馬、ピアノの他に読書、映画鑑賞、音楽鑑賞、ロッククライミング、ギター、日曜大工など多種多様である。
日曜大工で「木彫りの熊」を作って近所の子供にあげている。しかしその方法とは、何個か作っては「ご自由にどうぞ」と書いて近所の公園に放置し、自分の部屋の窓から誰が持っていくかを観察する、というもの。




この木彫りの熊の件は面白いですね。

知らずにもらっていった人はお宝物ですね、これも彼の性格から来ているんでしょう。




ドラマ撮影中、バイクに乗るシーンがあったが免許を持っていなかったため歩くシーンになってしまった事がある。それが悔しくて、すぐに大型バイクまでの免許を取得した。
いつかやるかもしれない時代劇のために乗馬を始める。(乗馬クラブは俳優の渡哲也の紹介による)その腕前は岡田が主演を務めた2005年のNHK新春ドラマ『大化改新』で披露された。





この辺の話を聞くと彼の性格を垣間見る事ができますね。
このような努力家の面が無いと役者さんはいい役が回ってきませんからね。




V6のメンバー曰く、楽屋などで奇妙な行動をすることが多いという。(ガムの包み紙で延々と鶴を折る、修正テープで台本を全部消す、指全部にセロテープを巻くなど。)そのような行動をするのは、集中力を養うためだと本人は主張している。




このエピソードも面白いですね。
B型の特徴だと思います、私も何となく気持ちが分かります。

こう見てくると岡田准一という青年は一途で真面目な努力家で人の良い好青年だという事がわかりますね。

これからも『SP 警視庁警備部警護課第四係』 を楽しみたいと思います。

『ウィキペディア(Wikipedia)』を参照
タグ:岡田准一