スポンサードリンク


男性・俳優

岡田准一

先日、格闘技の番組を見終わってボーっとしていたらなにやらドラマが始まりました。

導入部分が巧みに出来ていたのでしばらく見ていると面白いではないですか。

そのまま最後まで見入ってしまいました。

番組を見終わって新聞のラテ欄を見てはじめてその番組が『SP 警視庁警備部警護課第四係』 という番組で出演者が岡田准一、堤真一、真木よう子という事を知りました。

若い頃は映画好きで年間100本以上見ていた経験がありますが、仕事についてからだんだん縁遠くなり、今では芸能界の事はまるで解りません。

ですからテレビドラマというものも最近は全く見ていませんしある面バカにしていた所がありました。

ところが、たまたま見たこの「SP」という番組の面白さに久し振りにワクワクしてみてしまいました。

格闘シーンも動きがよく、岡田准一さんという役者さんに興味が出ましたので調べてみます。 


岡田 准一(おかだ じゅんいち、1980年11月18日 -)は、日本の俳優、声優、タレントであり、ジャニーズ事務所所属の男性アイドルグループV6のメンバー。フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より




役者さんだと思っていましたがジャニーズのV6のメンバーだったんですね。

V6のメンバーっておじさんぽい人が多いと思っていましたがこの岡田君のように若々しい人もいたんですね。




日本 大阪府枚方市 血液型 B型

大阪出身のB型ですか、血液型は私と一緒です(笑)





1995年 
日本テレビ系で当時、放送されていた『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』内のコーナー『ジャニーズ予備校』に応募し、合格する。
中学2年生の3学期に、ジャニーズ事務所に入所し、単身上京する。
11月1日、V6の一員として『MUSIC FOR THE PEOPLE』でデビューを果たす。(当時14歳・中学3年生)




中学3年で単身上京するとは、ご両親も心配でしたでしょうね。しっかり者なんでしょう。


1999年 
3月、堀越高等学校を卒業する。(同級生に野波麻帆、新山千春など)
2002年
ドラマ『木更津キャッツアイ』で主演を務める。その後木更津キャッツアイは『木更津キャッツアイ 日本シリーズ』、『木更津キャッツアイ ワールドシリーズ』と2度映画化され、岡田の代表作となった。 <





この『木更津キャッツアイ』というのも全く知りませんが結構人気番組だったようですね。




2006年
12月、主演映画『花よりもなほ』(時代劇)での、岡田の演技が高く評価され『石原裕次郎新人賞』を受賞した。この賞は過去にオダギリジョーや、木村拓哉、長瀬智也らが受賞している。
岡田は、下積み時代が長かったV6のリーダーである坂本昌行とは対照的に下積み時代が短く、入所後、約半年でV6のメンバーに抜擢される。そのため岡田がジャニーズJr.で活動していた事はあまり知られていない。




下積み時代が無くデビューできたという事はやはりそれなりに光るものが当時から有ったんでしょうね。




両親は岡田が小学2年の時に離婚し、それ以来、祖母、母、姉と暮らしていた。
母は実家でピアノ教室の指導者をしている。また、ママさんコーラスの指導者でもある。
母と二歳年上でピアニストの姉は、絶対音感の持ち主だが、家族で岡田だけが絶対音感を持っていない。(本人曰く「あやふや絶対音感」ならある。)




ご両親は離婚されていたんですね。

お母さんも立派な人ですね、よく単身上京を許されたと思います。
お母さんはピアノの先生をしているんですか、私は音痴で楽器は何も出来ないし、歌を歌えばメロディに乗れないはといった程度ですから音楽の出来る人は尊敬してしまいます。




2002年に宮藤官九郎脚本のコメディードラマ『木更津キャッツアイ』で主演を務め、この作品の中で岡田はそれまでのアイドルとしてのイメージをブチ壊す、いわばヨゴレ役とも言える演技を披露し、従来のファンを驚かせた。また、この作品で見せた、タバコやビールをこよなく愛し、おまけにスケベという等身大の若者像は、女性ファンだけでなく同年代の男性の支持をも得る事になり、岡田自身の俳優としてのステータスを確立する事となった。また木更津キャッツアイは2度映画化され、岡田の代表作となった。




随分とデビューから恵まれた道を歩んできているんですね。

人から好かれるような何かを持っているんでしょう、そして努力家なんだと思います。




趣味は、乗馬、ピアノの他に読書、映画鑑賞、音楽鑑賞、ロッククライミング、ギター、日曜大工など多種多様である。
日曜大工で「木彫りの熊」を作って近所の子供にあげている。しかしその方法とは、何個か作っては「ご自由にどうぞ」と書いて近所の公園に放置し、自分の部屋の窓から誰が持っていくかを観察する、というもの。




この木彫りの熊の件は面白いですね。

知らずにもらっていった人はお宝物ですね、これも彼の性格から来ているんでしょう。




ドラマ撮影中、バイクに乗るシーンがあったが免許を持っていなかったため歩くシーンになってしまった事がある。それが悔しくて、すぐに大型バイクまでの免許を取得した。
いつかやるかもしれない時代劇のために乗馬を始める。(乗馬クラブは俳優の渡哲也の紹介による)その腕前は岡田が主演を務めた2005年のNHK新春ドラマ『大化改新』で披露された。





この辺の話を聞くと彼の性格を垣間見る事ができますね。
このような努力家の面が無いと役者さんはいい役が回ってきませんからね。




V6のメンバー曰く、楽屋などで奇妙な行動をすることが多いという。(ガムの包み紙で延々と鶴を折る、修正テープで台本を全部消す、指全部にセロテープを巻くなど。)そのような行動をするのは、集中力を養うためだと本人は主張している。




このエピソードも面白いですね。
B型の特徴だと思います、私も何となく気持ちが分かります。

こう見てくると岡田准一という青年は一途で真面目な努力家で人の良い好青年だという事がわかりますね。

これからも『SP 警視庁警備部警護課第四係』 を楽しみたいと思います。

『ウィキペディア(Wikipedia)』を参照
タグ:岡田准一

男性・俳優

玉木 宏


玉木 宏


ヒョンなことから
この名前を今日初めて知りました。ふらふら

「玉木」という字を見て「たまぶき」という人の名前を知っていたので「たまぶき」かと思ったくらいです。ファンの人ゴメンナサイ。


全くの未知なので例のごとくウィキで調べてみる事にしました。



玉木 宏(たまき ひろし、1980年1月14日 - )は、日本の俳優、歌手。愛知県名古屋市中村区出身
身長:180cm
靴のサイズ:27.5cm
血液型:A型
趣味:カメラ
特技:水泳



身長と靴のサイズはおじさんと一緒です。



高校2年(16歳)の時、名古屋のサカエチカで、現所属事務所アオイコーポレーションの社長である葵てるよしにスカウトされた。高校を卒業してから上京し、1998年、ドラマ『せつない』で俳優デビューした。この頃は役を得るのはオーデション中心で、10回受けて1回受かるくらいであった。アルバイトをしながら演技の勉強を続けていたが、2001年公開の映画『ウォーターボーイズ』に出演し、以後、ドラマ『こころ』『愛し君へ』や、CM『ポカリスエット』に出演して注目を集めた。



『ウォーターボーイズ』って子供と一緒に見た覚えがあります。

あの映画に出ていたのですか、誰が誰か全然解らず見ていました。



2006年11月7日、主演したNHK土曜ドラマ『氷壁』第2回「生死を賭けた挑戦」がABU賞テレビ・ドラマ番組部門を受賞した。また、この年は、主演映画『ただ、君を愛してる』や、ドラマ『のだめカンタービレ』で千秋真一役をシリアスかつコミカルに演じ再び注目を集めた。



何も知りませんバッド(下向き矢印)




さくらももこのファンである。 好きなテレビアニメも『ちびまる子ちゃん』で、他に『サザエさん』『ドラえもん』だという。また将来、『サザエさん』の磯野家のような平屋に住むのが理想だと語っている。
食べ物の好き嫌いが多い。基本的に肉が好きで、ハラミが好物。甘い物も好きで、朝食代わりにチョコレートを食べる。嫌いな物は、梅、納豆、ユズ、茗荷、ウニ、スイカ、メロン、キュウリ、紅ショウガ、冷やし中華をあげている。CMにも出演しているミスタードーナツでは、学生の頃から「ココナツチョコレート」がお気に入り。飲み物ではカフェオレが好きで、1日5杯は飲める。



どうでもいいけど嫌いなものが多いですね。

これでは外で食事はできないのではないかと思ってしまいます。

でも、『ちびまる子ちゃん』『サザエさん』『ドラえもん』などがすきと言う事はまだ精神的に大人ではないということでしょうか。




手がとても大きく、指もとても長い。また、ボール投げ・アーチェリーなどスポーツ系は左利きで、お箸、包丁、字を書くなど文科系は右利き。
もの凄く暑がり。靴下が大嫌いで年間を通して基本的に素足にサンダルで過ごしている。




元々左利きをご両親が治されたのでしょうか?


ウチの長男も左をよく使っていました。女房が元々左利きだったようです。

玉木君の両親のどちらかが左利きかもしれませんね。

靴下が嫌いというのも困ったものですね。これから公式行事など多くなるでしょうに困りますね。





初恋談義にはいつも率直に答えている。初デートは中1の秋で、ファースト・キスは12歳(中学1年生)。





今の人は早いですね。中1ですか。




名古屋から上京してきた当時はその昔植木等も住んでいた牧子荘という築約50年の3畳のアパートに住んでいた。朝起きるとトイレに羽虫が沢山ういてたらしい。その後、耐えられなくてすぐに引っ越した。
18歳から22歳ころまで俳優業を続けながら、目黒区碑文谷のゴルフ場内にあるレストランの厨房でアルバイトをしていたこともあり、料理は得意でよく作るらしい。アルバイトはその他に、引っ越し業と深夜のコンビニの店員を掛け持ちでしていた。
レストランでアルバイトしていたとき、客として来ていた明石家さんまやタモリ、浜田雅功達を接客したことがある。




売れない時期がやはりあったのですね。

でもこんな経験が演技に役立つ事もあると思います。




血液型は長らくB型と思いこんでいたが、25歳になった記念に行った人間ドックでA型と分かった。25年間「B型である」と信じていたのは親からの情報と、25年間大きな怪我等したことがなかったので血をとられるということがなかった為。
20歳過ぎくらいから霊感が強くなり、頻繁に「何か」を見てしまう体質になってしまったと、2006年の『HEY!HEY!HEY! 』出演時に明かしている。
扁平足で土踏まずが無いことが以前はコンプレックスだった。健康サンダルや、土踏まずの部分が出っ張っている靴を履くともの凄く痛くなってイライラしてしまう。痛くなるのは左足。



大きな怪我もなく25歳まで来たんですね、それにしても25歳まで自分の血液型間違えていたなんて両親もいい加減ですね。

霊が見えてしまうのでしょうか、すごいですね。

偏平足は困りますね、疲れやすいとも言います。



幼稚園を改造した借家に家族と住んでいる。自室の広さは40畳あり、その一部を暗室に改造してあるとのこと。また、暖房はほとんど使わないそう。
2006年のクリスマスプレゼントに、妹に手帳を、母親にはストールをプレゼントした。自分が貰って嬉しいプレゼントはタバコ。(1日3箱吸う為で銘柄はCaster。)



すごい家に住んでいるんですね。

でも自室が40畳とは羨ましいですね。

禁煙時代に1日3箱も吸うなんて、今時吸いづらいでしょう。

愛煙家として同情します。




今の若い男優さんは皆同じような髪型、顔つきなので今日から気をつけて発見するようにしたいと思います。

人柄のよさそうな若者ですね。


タグ:玉木 宏

男性・俳優

千葉真一

千葉真一さんが俳優業を引退して養成所を作るという話が話題になっています。

昨晩は東京12チャンネルで親子で旅番組に出演していました。

懐かしく番組を見てしまいました。

真田さんの記事でも書きましたが25年以上前になるのでしょうかJACの事務所に出入りしていましたのでとても懐かしく当時を思い出して見てしまいました。

番組では声のトーンが異常に高くお子さんを溺愛している様子が手に取るよう伺えましたね。

断腸の思いでJACを手放されたのでしょうから再度養成学校をという気持ちも良く解ります。

最近は野際さんもよくテレビの旅番組に出られていて元気そうですし、何よりです。

千葉さんが番組の中でお子さんにメッセージを投げかけていましたがそんな時代になったのですね。

これからは千葉さんもアクションにとらわれないで存在価値のある役者さんになられることでしょう。

益々、頑張って欲しい役者さんです。

男性・俳優

真田広之

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070607-00000012-flix-movi

久し振りに「真田広之」の名前を見た気がします。

実は、彼がデビュー当時所属していた千葉真一主催のジャパンアクションクラブに仕事でお世話になったことがありました。

ですから若かりし頃の志穂美 悦子サンなどにも何回もお目にかかっていました。

その懐かしい真田さんの名前が出たので改めて真田広之さんについて調べてみます。


真田 広之(さなだ ひろゆき、1960年10月12日 - )は東京都品川区大井町出身の俳優。堀越高校、日本大学芸術学部映画学科卒業。本名は下澤広之。英名としてDuke SanadaやHenry Sanadaを用いることもある。芸名の「真田広之」は千葉真一による命名。 身長は170cm。体重は63kg。血液型はA型。所属事務所の名称「ザ・リブラインターナショナル」は自らの星座であるてんびん座に由来。巧みなアクションと繊細さを兼ね備えた確かな演技力で舞台、映画、テレビドラマ、CMと幅広く活躍する、日本を代表する俳優。



1960年生まれの46歳になるんですね。

月日の経つのは早いものです。


5歳の頃から劇団ひまわりに所属し、雑誌のモデル等を通じて1966年に『浪曲子守唄』で子役デビュー。その後、両親の勧めもあって暫く芸能活動を休止するも、中学校入学と同時に千葉真一主宰のジャパンアクションクラブに入団。時を同じくして母の勧めにより日本舞踊の玉川流に入門。しなやかで柔軟性のある演技の土台を築く。



1978年、深作欣二監督の映画『柳生一族の陰謀』のオーディションに合格。芸能活動を本格的に再開する。同作品が映画では「真田広之」名義の最初の作品となる。同年、日本舞踊でも玉川流の名取となり、「玉川大輔」の名を受ける。


この頃でしたと思います、恵比寿に有った事務所で最初にあったのは。もちろん真田さんは私の事など覚えているはずもありませんが。



1980年公開の映画『忍者武芸帖 百地三太夫』で見せた安土桃山城天守閣からの飛び降りシーンや、1981年公開の映画『吼えろ鉄拳』で見せた福井県東尋坊の岩場から海への飛び込みシーン、同映画で見せたヘリコプターから海への飛び降りなど、危険なアクションをスタントなしで身体を張って演じ、アクションスターとしての地位を不動のものとした。翌年の『魔界転生』での沢田研二とのキスシーン、さらには『道頓堀川』で松坂慶子とのベッドシーン、里見八犬伝での薬師丸ひろ子とのラブシーンで話題を浚い、1984年公開の『麻雀放浪記』を機に演技派俳優としても地位を確立した。
1989年にジャパンアクションクラブから独立後はアクションを封印した時期があったが、シリアスな役からコミカルな役まで演じ分ける幅広さと信頼性のある演技力、端正な顔立ちなどが評価され、数々の作品に出演し受賞を重ねる。


ジャパンアクションクラブは残念な事に土地取引などの問題があったらしく(人に聞いたので定かではありません、念のため)日光江戸村に身売りしてしまったんですよね。


だから、当時は色々有ったようですが真田さんにとっては良い転機になったのではないでしょうか。


2002年に公開されアカデミー外国語映画賞にもノミネートされた『たそがれ清兵衛』で各映画賞を総なめにしたことや2003年公開の『ラストサムライ』に出演し世界各国の映画関係者から多大な賞賛を受けたことで日本を代表する俳優の地位を不動のものとした。


「たそがれ清兵衛」これもシリアスでよい演技をしていましたよね。

アクションから離れて彼の内面を出す演技に磨きが掛かった感じですね。

あのままアクション俳優という立場でしたら今の真田さんはなかったかもしれませんね。

何が福となるか人生解りません。



英語をはじめとした語学能力にも秀でており、英会話は通訳を要さないほど堪能である。そのため現在はロサンゼルスに拠点を移し、着実にアメリカ映画への出演を重ねている。フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より


努力家ですから、良い意味での独立独歩がいい方向に進んでいます。


ゆかいな海賊大冒険

これは新宿コマ劇場でJAC主宰で行なわれた舞台です。
このときの記念グッツを作らせて頂きました。

懐かしい思い出です。

これからの益々のご活躍をお祈りいたします。

男性・俳優

中村勘三郎18代目(2)

http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2007052800268

昨日、このブログで18代目中村勘三郎さんを取り上げました。

申告漏れで記者に追い掛け回され不機嫌さを表に出している様子でしたので。

勘九郎時代から築き上げてきた彼の栄光に傷がつかないか心配していましたが今日の記者会見で事実関係を認め謝罪をしたそうですね。

このクラスの人は恐らく自分でお金の計算などしていないでしょうから、報告をしている方が意図的に画策したのではないでしょうか。

どちらにしても早い段階で記者会見を開き謝罪した事は正解だと思います。

これからも奢らず謙虚な歌舞伎役者さんでいて欲しいと思います。

男性・俳優

中村勘三郎(18代目)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070527-00000001-sanspo-ent

人それぞれの立場によってそれぞれの言い分はあるでしょう。

その立場に立った時その人の人柄が出てくるのではないかと思います。

そんな意味からこの人の人柄がこれから試されるのではないでしょうか。


中村 勘三郎(なかむら かんざぶろう)は、歌舞伎江戸三座の一つ、中村座の座元名跡。後役者に転じ、現在では歌舞伎役者の名跡。当代は18代目。屋号はかつては舞鶴屋などだったが、17代目以降は中村屋。定紋は角切銀杏。現在用いられている名跡のうちでもっとも代数が多い。

十八代目中村勘三郎(じゅうはちだいめ なかむら かんざぶろう、昭和30年(1955年)5月30日 - )は、歌舞伎役者、日本の俳優。本名は波野哲明(なみの のりあき)。血液型はO型。暁星高等学校卒業。國學院大學中退。愛称は「のりちゃん」。芸能界では、未だに前名の「勘九郎」さんと呼ぶ芸能人が少なくない。


私なども勘九郎という名前の方がなじみがありますね。

小さい頃からこの人はテレビに出ていたので今までの歌舞伎役者に較べて身近に感じる人でしたね。


いま最も話題を提供する歌舞伎俳優。江戸の世話狂言から上方狂言、時代物、新歌舞伎から新作と、どんな役でも圧倒的な芸の力で魅せる。コクーン歌舞伎(主に古典歌舞伎を再構成・新演出で上演)や平成中村座(仮設式の劇場。内部は江戸時代の芝居小屋の形式に倣っている。これまでの設営地は東京浅草・大阪市・米国ニューヨーク市・名古屋市中村区)を立ち上げたり、小劇場出身の現代劇演出家野田秀樹と組むなど、野心的な試みにも意欲的に取り組んでいる。その取り組みは日本だけには止まらず、海外にまで広がっている。


これだけ話題を提供しているのですから、それなりに歌舞伎の世界を多くの人に知らしめた功績は大きいと思います。

それゆえに今回の話題にしっかりとした態度で臨んで欲しいですね。


1955年5月30日 東京都に生まれる。十七代目中村勘三郎の長男。姉は女優の波乃久里子


何代も続く家系ですからその世界しか知らないと思います。

そんな自分の弱点もちゃんとわきまえて堂々と対応して欲しいですね。



受賞歴
1989年 芸術祭賞、都民文化栄誉章
1990年 眞山青果賞大賞
1994年 第2回読売演劇大賞最優秀男優賞
1998年 眞山青果賞大賞
1999年 日本芸術院賞
2000年 浅草芸能大賞
2001年 スポニチ文化芸術大賞グランプリ
2002年 第23回松尾芸能大賞、第39回ゴールデン・アロー賞演劇賞および大賞、第1回朝日舞台芸術賞
2004年 第52回菊池寛賞


このような立派な受賞歴があります。

勘九郎の頃からテレビに出て顔を売ってきて名跡も継いだばかりです

自分のいる立場を考えて逃げないで対応して欲しいですね。



2007年5月21日、東京国税局から2005年までの3年間で約7000万円の申告漏れを指摘されたと報じられた。このうち約2000万円は、架空の人件費を計上するなどの悪質な所得隠しとして、重加算税を含め約3000万円の追徴課税となった。同時に、長男・勘太郎、二男・七之助、後援会「若鶴会」の代表も、総額で約1億3000万円の所得隠しを指摘された。 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用


この問題は多くの人の興味を引くことだと思います。

歌舞伎界という特殊な世界は多くの国民からそれこそ梨園と呼ばれる特別な世界です。


多くの国民の理解を得られるような対応をして欲しいと思います。

男性・俳優

伊東四朗

今日は伊東四朗さんを調べてみます。

昨晩「屋台弁護士U〜検察側の証人」というドラマが放送されていましたね。

中村雅俊さんとの親子役ですが伊東さんて本当にいい役者になりました。

後で出てくると思いますが、私が一番知っているのは

「てんぷくトリオ」の時代の伊東さんです。

どちらかというとボケ役というのでしょうかなんとなく変なオジサンそんな人でしたが、今は立派な地位を確立した役者さんです。


伊東 四朗 (いとう しろう、本名:伊藤 輝男(いとう てるお)、1937年(昭和12年)6月15日 )は、日本のコメディアン、俳優、タレント。東京都出身。東京都立市ヶ谷商業高等学校卒業。次男はタレントの伊東孝明。



えっ、1937年生まれですか?

ということは今年70歳。

若いですね、びっくりします。

この市谷商業高校知っています、行った事あります。

東京の中心といったところに有りながらどの駅からも離れてて

結構歩くんです。


戦時中は静岡県に疎開。1958年、石井均一座に参加。同期には財津一郎らがいた。最初の芸名は、座長に「いとうにしよう」と言われたことから「伊東証(いとうしょう)」だったが、ポスターなどに名前が連なると、一文字の名前が先輩より目立ってしまっていけないということで、「伊東四朗」と改名した。


この辺のエピソードって面白いですね。

今では考えられない、ホンワカしたものが流れています。



石井一座は浅草の松竹演芸場や新宿の新宿松竹文化演芸場を拠点に人気となる。新宿時代、一座の戸塚睦夫が元々軽演劇の仲間であった三波伸介と夜間キャバレーの営業に出ていたが、三波が大阪に行ってしまったために一座の伊東が三波の代役で営業に参加(この頃伊東は三波伸介という芸名を使うことがあった)。のちに三波が東京に戻ったため三人で営業用のトリオを結成。石井一座解散とともに正式にてんぷくトリオ(当初「ぐうたらトリオ」)を旗揚げした。軽演劇の流れを汲むコントで、舞台・テレビで徐々に人気となり、三波のギャグ「びっくりしたなぁ、もぅ」が大当たりして茶の間の人気お笑いグループとしての地位を確立した。



これは、1965年の頃のことだと思います。

最初に書いた通り私の印象に残っている「てんぷくトリオ」が

私が中学生頃のような気がします。


1973年に戸塚睦夫が42歳の若さで逝去し、てんぷくトリオの活動に困難が生じるも、三波と2人で「てんぷく」の名を守った。1972年から毎週日曜日に三波らと共に出演していたNHKの『お笑いオンステージ』内「てんぷく笑劇場」での活躍が代表的である。



これも見ていた記憶がありますね。

戸塚さんがなくなってトリオでなくなってどうするのか、そんな心配をしたことがありました。




1975年以降、三波の意向で「てんぷく」名で活動を抑制した頃、小松政夫との共演が話題になり、テレビ番組『みごろ!たべごろ!笑いごろ!』での親子コントや『電線音頭』でのベンジャミン伊東(この名前の由来は、イギリスの作曲家ベンジャミン・ブリテンから)、『笑って笑って60分』での「小松の親分さん」などのネタで人気に火がついた。



この頃は私が青春を謳歌していた時期なので知らないんです。

でも、「電線音頭」はすごく流行りましたね。

飲み会では必ずやっていましたから。




1979年には「ザ・チャンス!」(TBS系)の3代目司会者に抜擢されるなどした。
1982年12月8日、盟友・三波伸介が52歳の若さで急死、伊東はショックを受け葬儀で号泣。「てんぷくトリオ」は早くも伊東の一人となってしまった。



三波さんて52歳で亡くなったんですね。

まだまだ遣り残したことがあったでしょうに。



1983年、NHK連続テレビ小説『おしん』の父親役に抜擢され、同ドラマが大ヒット。シリアスな演技もできる俳優としての評価も得て活動の場を大きく広げた。
俳優業のほか、バラエティ番組の司会も数多く担当する。数多くのドラマで父親役をやってきた事や、『伊東家の食卓』などのイメージで、他の芸能人からは「お父さん」と呼ばれる事も多い。



そうでしょうね、70歳ですし派手なところもないし、

地に足が着いた生活ですし。信頼を集めていると思います。



自らを「喜劇役者」と位置づけており、いつまでもそうあり続けたいと語る。「てんぷくトリオは解散していない」とも述べ、コメディへのこだわりも見せる。三宅裕司、小倉久寛らと共演したオムニバスコントの舞台『いい加減にしてみました』(1997年、2002年)が好評だった流れで、今ではあまり見られない典型的な喜劇・軽演劇の舞台を再現してみようと、2004年、試みで『伊東四朗一座 〜旗揚げ解散公演〜』(タイトルからも分かるように最初で最後の予定であった)を上演したところ、当日券を求める客があふれるほどの大好評となり、多くのリクエストを受けて翌2005年に『伊東四朗一座 〜急遽再結成公演〜』を上演、こちらも好評を博した。


こんなところも伊東さんらしいですね。



優れたリズム感は70歳近くになっても衰えず、『伊東家の食卓』での体を使ったゲームなどは若者に先駆けてクリアしていた。2005年の舞台ではラップも披露した。息子の孝明と海外旅行する番組では英会話もこなしている。百人一首を暗記したり、円周率を100桁以上暗記、さらに500桁を目指す、アメリカ合衆国の州を毎日暗唱するなど、脳の活性化のためにと自分なりの工夫を実行している。趣味とストレス解消はテニス。



なるほど、若さの秘訣にはこんな脳トレをやっていたんですね。

私も物忘れが激しいのでこれをやってみましょうか。

いずれにしても、日本の役者さんの中でも本当に味のある役者さんだと思います。

ますますお元気でご活躍されることを望んでやみません。


男性・俳優

木村拓哉

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070427-00000007-nks-movi

こんなニュースがありましたので今日は拓哉さんです。

うちの次男も拓哉といいますグッド(上向き矢印)

22歳ですから木村拓哉さんがデビューする前に誕生です。わーい(嬉しい顔)

そんなことでモコミチは知らなくても木村拓哉さんは知っていました。


木村拓哉(きむら たくや、1972年11月13日 - )は、千葉県千葉市出身のアイドルグループSMAPのメンバー、ジャニーズ事務所に所属。血液型はO型。公称身長は176cm。妻は工藤静香。


今年35歳になるんですね、その割には男前だからか若く見えますね。

うちの奥さんも以前はファンだったようですが結婚してからは

韓流に鞍替えしました(笑)



生まれは東京都。小学校入学直前まで、大阪府箕面市に住み、小学校以降は千葉県千葉市で育つ。
1988年、千葉県立犢橋高等学校入学。
1988年4月、スケートボーイズの12人のメンバーの中から中居正広、木村拓哉、稲垣吾郎、森且行、草g剛、香取慎吾の6人でSMAPを結成。


SMAP結成が1988年ですから19年前ですね。

これで次男の名前真似して付けたのではないことお解りいただけますね。そんな事どうでもいいですね。


1991年9月9日、SMAPのメンバーとして『Can't stop!! -LOVING-』でCDデビュー。
1993年、テレビドラマ『あすなろ白書』の取手治役でブレイク。
1994年、テレビドラマ『若者のすべて』の陰のある青年(上田武志役)を演じ好評を得る。



この辺は知りません。



1996年、テレビドラマ『ロングバケーション』で初の連続ドラマ主演、最高視聴率36.7%を記録し、人気を不動のものにする。



これですね、女房が見て騒いでいたのは、この頃から私も彼の名前を覚えました。



2000年11月23日、工藤静香との婚約会見を行い、12月5日に結婚。
2001年、2006年、テレビドラマ『HERO』で全話視聴率30%以上を記録。



これ見た事あるような気がしますね。

物忘れが激しいもので、松たか子って言いましたっけ山崎パンのCMに出ている人、あの人との番組でしたっけ。


トレードマークとなりつつあるロン毛自体も、木村が髪を伸ばし始めた96年当時は最初のチーマーブーム等が去り下火だったが、木村の人気に伴い再びブームとなった。
「キムタク」という愛称は、始めは女子高生の間でつけられた愛称として喜んでいたが、その後面と向かって呼ばれるよりもマスコミに取り沙汰される時に多用されることや、「キムタク」という素の自分ではない虚像が一人歩きしているように思うようになり、呼ばれることを嫌うようになる。FMVのCMでは、石田純一に「キムタ」と呼ばれ「略さないでよ」と嫌がるコント場面もある。


キムタクで良いじゃないですかね。役者のキムタク

素の自分は家庭で出せばいいのじゃないかな。



努力家で、真面目・頑固。遅刻はほとんどせず、できないことは居残ってでも出来るまで練習するというひた向きさを持つ。「芸能人っぽい」と言われることを嫌い、待ち時間も楽屋よりもスタッフのいる現場にいる時間の方が長く、スタッフとのコミュニケーションを大切にする



見た目もそんなタイプかもしれませんね。

真面目そうですよね。



SMAPのメンバーの中で唯一の既婚者。家族のことはあまり話さない。明石家さんまや中田英寿とプライベートでも家族ぐるみでの交流がある。



女房が彼が結婚する時「工藤静香みたいな女と結婚なんかして」

ってさんざ言っていました。


幼い頃に獣医師を夢見たほどの動物好きである。「君を忘れない」で共演した子犬を引き取り実家で育てたというエピソードもある。
SMAPのメンバーの中では会話はツッコミ役になることが多い。会話内容をよく聞き、ツッコミのポイントを拾うことが得意である。「SMAP×SMAP」の「BISTRO SMAP」のコーナーで香取の「美味しいリアクション」に良くツッコミを入れている。



これ金曜日か土曜日の夜中にやっている番組ですね。

一度見たことありますわ。


これまでドラマで様々な職業、キャラクターの役柄を演じ、高視聴率を弾き出してきたが、どの役もいわゆる「キムタク節」と呼ばれる独特の台詞回しのせいで「どの作品でもキムタクを演じているだけ」と批判する声もある。



これはこの批判を甘んじて受け流せばよいと思いますね。

作家だってそうです。同じ作家の本を読み続けると解りますが、それは仕方の無いことで、

もしそう批判されるなら木村拓哉という形が出来上がっているということです。

オリジナルの型ですばらしいと思います。


若くして結婚して二人のお子さんも出来基礎をしっかり固め、

今後益々大きくなるのではないでしょうか、渡さんとのコマーシャルもいい感じですよね。

それにしてもいい男前ですね。

男性・俳優

柳葉敏郎

ドリームマッチ ギバちゃんベンチ入り、欽ちゃん迎え撃つ

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070424-00000020-mailo-l05

こんなニュースがありました。

あの欽ちゃん率いるゴールデンゴールズ対オール秋田」の試合が5月3日、秋田市の県立こまちスタジアムで開かれる。

その「オール秋田」のベンチに欽ちゃんと師弟関係になるギバちゃんこと柳葉敏郎さんがアドバイザーとしてオール秋田のベンチに入ることになったということです。


そんなことで今日は柳葉敏郎さんについて調べてみます。


柳葉敏郎(やなぎば としろう、1961年1月3日 - )は、秋田県仙北郡西仙北町(現・大仙市)出身の俳優・歌手。血液型O型。融合事務所所属。愛称はギバちゃん。趣味は、ボウリング・ゴルフ・スキー・テニス・野球。


1961年生まれと言う事は45歳になったんですね。

「欽ちゃんのドンとやってみよう!」の良い子悪い子普通の子おまけの子 を知っている私はまだ彼は若いと思っていましたが、時は進んでいますね。



秋田県立角館高等学校後、18歳の頃に日本テレビのバラエティ番組『スター誕生』へ応募し落選。それがきっかけで上京、劇団ひまわりに入団する
渋谷のディスコ仲間達でNHK前の路上で寸劇をしていた劇男零心会に加わり、その後、劇男一世風靡を結成。「一世風靡セピア」としてデビューし、当時の若者の代表格的存在となる。



知っています、この頃の彼、確か和太鼓を使った踊りとかやっていましたよね。

男らしくかっこよかったですね。



基本的に明るくほがらかな性格で、子供っぽいともいえるほどのはしゃぎっぷりを発揮することもある。しかし、硬派な演技も優れているので、そのギャップもまた魅力のひとつとなっている。



真面目さが彼の顔から見て取れますよね。

お子さんを育てる為に故郷へ帰ったそうですから、その辺も彼のいいところでしょうね。


トレンディドラマに出演するようになってからは20代女性層の認知も多くなり、20代〜60代と広範囲に受け入れられるようになる。また、『踊る大捜査線』でのブレイクにより今まで柳葉を知らなかった子供層からの認知も上がっている。



彼の演技など見ていても彼の性格が出ているように感じますよね。

一本気な性格というのでしょうか、真っ直ぐな感じがします。


妻との仲は円満で、夫婦連れ立ってカラオケにも行く。一人娘がいる。ただし、独身の頃から子供は教育環境の良い田舎で育てる考えを強く抱いていたが、お嬢様育ちの奥さんが嫌がっていた。最終的には本人の意思が強かったため、娘が小学校入学前に、故郷秋田への住居移転を実現した。現在は仕事がある度に、秋田から東京や大阪といった仕事場へ出かけている。



これはすごいことですね。なかなか出切る事ではありません。

人気稼業といったら古い表現ですが、人気が出てきたら常に他人の目を意識して高級住宅街に住みたくなるものですからね。

自分を見失っていない証拠です。

益々頑張ってほしい人の一人ですね。



男性・俳優

中村雅俊

またまた古い方になってしまいました。

でもこの方のファンは多いでしょうね。

私もこの方の事は随分前から知っています、恐らくデビュー当時でしょう。

そうです、確か「俺達の青春」ではないでしょうか。

確か私より1歳年下ですよ、先日もテレビでドラマ見ました。

「まだそんなに老けていない」でしたね。

そうです、今日は中村雅俊さんについて調べてみました。



中村雅俊(なかむら まさとし、1951年2月1日 )
宮城県牡鹿郡女川町出身。宮城県石巻高等学校、慶應義塾大学経済学部卒業。妻の五十嵐淳子と長男の中村俊太も共に俳優。
慶応大学ではESSに所属、ちなみに、大学時代の同級生には、フジテレビとライブドア騒動の時にホワイトナイトとして有名になったSBIホールディングスの北尾吉孝がいた(入学した年も学部も同じである)。



あの、北尾さんと同じ歳ですか?役者さんはやはり若く見えますね。



1973年、文学座附属演劇研究所に入所。翌年、大学卒業と同時に文学座に入団。同年、日本テレビ系列で放送された青春ドラマ『われら青春!』の主役に抜擢され人気を獲得し、自らが歌う挿入歌『ふれあい』が100万枚を超えるセールスを記録した。


俺達の青春ではなかったか、「われら青春!」でしたかパンチ

この主題歌「ふれあい」は、あの小椋佳さんの曲なんですよね。

先日NHKでしたかお二人で歌っていました。



通信教育のユーキャンが主婦300人を対象に調査した「理想の夫像」と題するアンケートでは木村拓哉に次ぐ2位にランクインし、幅広い層からの支持を集めていることが改めて証明された。



木村拓哉さんが結婚する前は中村雅俊さんがずっと1位でしたような気がします。



ラジオ番組『中村雅俊マイ・ホームページ』は放送開始10年を超える長寿番組である。



私もこの番組聴いたことありますね。

彼の声と穏やかな話し方が心を落ち着かせる感じでした。


『われら青春!』 (1974年4月7日〜9月29日)
『俺たちの勲章』 (1975年4月2日〜9月24日)
『俺たちの旅』 (1975年10月5日〜1976年10月10日)


これが三部作ですよね、私の青春時代ですから毎週楽しみに見たものでした。

そういえば『男はつらいよ 寅次郎頑張れ!』(1977年12月29日)にも出演していましたね。

確か藤村志保さん(マドンナ役)の弟役立ったと思います。

それにしてもこの中村雅俊さんは歌手、役者と二足のわらじをはいて大活躍ですね。


毎年コンサートツアーを敢行。その数は1300回を超え、いずれも大きな成功を収めている。

中村雅俊マイホームページ:http://www.tbs.co.jp/masatoshi/











男性・俳優

速水もこみち

タイトルにも使わせていただいたモコミチさんです。

最初にこの名前を私が聞いたときにはビックリしました。

更に本名だと聞いて二度ビックリ。

子供の頃はさぞからかわれたのではないでしょうか。

男から考えると「もっこり」なんて連想してしまいますからね。

でも、本名の表 猛虎道からは想像できませんけどね。

モコミチではなくモウコミチ、猛々しい名前に感じられるから漢字って不思議ですね。

さて、その速水もこみち君のことですが

本名:表 猛虎道(おもて もこみち)

1984年8月10日東京都生まれ、東京都立多摩川高校卒業の22歳。

血液型はB型で特技はバスケット
弟さんもデビューするとのことですね。
名前は表久禎(おもて ひさよし)

お父さんはお子さんの名前に凝る方なんですね。
ヒサヨシもなかなか読めません。

身長:186cm
体重:60kg
胸囲:85cm
ウエスト:74cm
ヒップ:89cm
靴のサイズ:28cm

さすがモデルさんの体型ですね。おじさんと比較してはいけませんあせあせ(飛び散る汗)

学生時代からモデルとして活動し、メンズノンノ・アサヤンなどに登場していた。当時の所属事務所はスターダストプロモーションで、本名の「表もこみち」で活動していた。

略歴
2001年 - 韓国でデビュー。CMなどに出演。
2002年 - ドラマ『逮捕しちゃうぞ』(テレビ朝日)で俳優デビュー。
2005年 - ドラマ『ごくせん』(日本テレビ)で大ブレイク。日清食品のラーメン「日清健多郎」のCMでは初のメインを務める。
2006年 - 第30回エランドール賞・新人賞を受賞。
2006年 - 映画『ラフ ROUGH』では長澤まさみとともに映画初主演。
2006年 - ドラマ『レガッタ』(ABC・テレビ朝日)にて連続ドラマ初主演。しかし平均視聴率は5.5%と近年稀にみる低視聴率だったため一話打ち切りで最終回を迎えた。
2007年 - 第18回日本ジュエリーベストドレッサー賞受賞(男性部門)。
2007年 - リリー・フランキー原作のドラマ『東京タワー〜オカンとボクと、時々、オトン〜』(フジテレビ)にて月9初主演。

186cmの高身長と小顔で、8.5頭身と言われているそうですが、日本人にもこんな体型の若い人が出てきたんですね。

でも彼は高所恐怖症で お酒が飲めないそうです。

これで、お酒が強いと男として100点なのでしょうが、一つくらい弱点があってもいいですね。

好きな食べ物はラーメン、カツ丼。嫌いな食べ物はオクラ、明太子ですって。オクラは解るけど、明太子が何で嫌いなんでしょうね。

見た目の感じでしょうか、食べれば美味しいですよね。


名前

もこみちという名前は本人いわく、「まっすぐ」を意味する「もこ(moco)」と日本語の「道」を合わせて、「まっすぐな道を歩んでほしい」という願いをこめて父親が命名した。が、

「moco」がどこの国の言葉かは定かではなく、イタリア語と言われているがイタリア語にこの言葉はない。

本人はDVD『mocomichi 〜太陽の季節〜』の中で「おそらくスペインかそっち方面のローカルな言葉」と語っている。

しかし、スペイン語では「鼻水」という意味になるため、イタリアかスペイン方面の方言か俗語の可能性が高い。

お父さんの思い違いだと真っ青ですね。

MOCOSTYLE 公式サイト http://www.moco883.com/pc/top.jsp

携帯サイト「研音Message」にて新企画スタート!
その名も、【HISTORY OF MOCO 100☆】

2006年ドラマ「輪舞曲」から始まり今年1月クール「東京タワー」まで、ドラマに映画にCMに、一気に駆け抜けた速水もこみち。
そんなもこみちの2006年(「輪舞曲」〜「レガッタ」まで)をマネージャーが撮影してきたものを100連発で大公開☆

4/16から毎週月曜日〜金曜日毎日更新します!
もちろん待ち受けもあわせて続々更新!

「これは○○のときのMOCOだ♪」なんて思い出しながら楽しんで
下さいね!

<アクセス方法>
■DoCoMo
メニューリスト→芸能/グラビア/お笑い→タレント/芸能→「研音アーティスト」

■SoftBank
メニューリスト→芸能・映画・音楽→芸能・タレント・お笑い→プロダクション・総合→「研音Message」

■au
カテゴリで探す→エンターテインメント→芸能・アイドル→「研音Message」


これで福山雅治さんに続いて有名人2人の情報が手に入りました。

次は誰にしようかな。思い浮かびません(泣)